by 唐草 [2020/04/04]
ぼくはバッジがキライだ。目に入ったバッジは消さないと気がすまない。缶バッジ作りを趣味にしている者の発言とは思えない否定的な意見である。でも、安心してほしい。他人のカバンに付けられた缶バッジをむしり取って地面に叩き捨てるようなまねをしているわけではない。
ぼくがキライなのは現実のバッジではない。スマホのアプリアイコン右上辺りに表示される未読メッセージ数などを表示するデジタルバッジがキライなだけだ。
当然のようにアイコン上の通知をバッジと呼んでしまったが、あの名称が「バッジ」だということはあまり知られていないだろう。ぼくだってアプリ開発に携わることがなければ、あの通知に名前がついていることすら知らないままだった。
バッジはとても便利な機能である。一目見るだけで何らかの確認すべき事項がどこにどれだけあるのかを把握できる。ぼくのスマホの中では、SNSアプリにバッジがつくことは稀で、もっぱらバッジが付くは仕事用のメールアプリだけ。
どのアプリであれアイコンにバッジが付いているのを見ると、ほんの少しだけイラッとしてしまう。
たぶん、バッジの出現によってメッセージやメールの確認を急かされているように感じてしまうからだろう。しかも、悲しいことにバッジを消すには、アプリを開いてメッセージに目を通すより他にない。イラッとさせられたうえにアプリの思惑通りに動かされる自分に不甲斐なさを感じるのもキライにな理由だろう。
バッジが許せないのはスマホの画面に限ったことではない。PCのデスクトップでも同じだし、ゲーム内のアイコンにつくバッジも好きじゃない。同じようにゲームで初めてアイテムを入手した時に表示される"NEW"のサインも好きじゃない。消せるものは徹底的に消して、画面から注意を引く要素を排除するまでぼくの心はざわめいたままである。
厄介なことにぼくのバッジ嫌いは、自分のスマホやPCの画面に限ったことではない。他人の画面を見ても、メールの未読バッジがあると全メッセージを既読にしたい衝動に駆られてしまう。ぼくは理性を持ち合わせた人間なので人のスマホを奪って操作をしたりはしないが、心の奥では手を出せないもどかしさで震えているのである。
ぼくからお願いだ。既読無視でもいいからバッジを消してくれ!