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ご飯粒を残さずに

by 唐草 [2014/07/03]



 先日は『頭のいい人』論争を紹介したが、もうひとつ気になっている箸にも棒にもかからない論争がある。
 それが『お茶碗に残った米粒』論争だ。
 ある人は「米粒を残すのは良くない。きれいに食べろ」と主張している。
 その一方で別の人は「チマチマ茶碗に残った米粒を食べるなんて、貧乏に見えるからやめろ」と主張する。
 この論争も平行線のままで、一向に終息の気配は見えない。
 ぼくは親から「米粒を残すな」と結構厳しく躾けられたので、当然残すのなんて言語道断派の人間だ。ただ、この議論が平行線になってしまう理由はなんとなくわかる。実は、前提条件が全く異なる状態で両陣営が議論を重ねているのだ。
 この事実には、大学生の時に友人と一緒に食事をしている際に気が付いた。というか、相手から指摘された。
 ぼくの茶碗を見て「なんで米粒が残ってないんだ?」と訝しげに聞いてきたことが、すべての始まり。確かに友人の茶碗にたくさんの米粒が残っていた。
 その後、よく観察しながら米を食べてある結論に到達した。
 茶碗に残る米粒問題は、すべて箸の使い方に起因する。
 正しく箸を使えていると米粒を潰すことがない。そのため茶碗に残る米粒は少ないし、残った米も潰れていないので簡単につまむことができる。一方、箸の使い方が雑だと米粒を潰してしまう。そうなると茶碗には、沢山の米粒が残ってしまうし、そんなつぶれた米粒を食べようとしたら箸で茶碗を引っ掻き回さねばならない。確かに潰れた米を引っ掻き回している姿はいじきたなく見えるかもしれない。
 この経験から考えると、米粒問題の双方の主張にも理解できる。ただ、米粒を残す派の人間は、今一度箸の使い方を見直した上で、持論を再考してもらいたい。