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講評をする

by 唐草 [2015/05/28]



 大学の講義は、大きく分けると2種類ある。先生の話を聞くだけの「講義」と授業中に発表や実験なんかを行う「演習」の2つだ。
 ぼくが担当している授業は演習。もちろん講義をすることも少しだけあるけれど、半期の授業のほとんどの時間は発表と製作に割り振られている。
 講義と演習のどちらが大変なのか?これは学生側からは分からない問題だろう。
 講義だと90分間、先生はしゃべり続けている。講義の中身はともかく、誰が見ても時間いっぱい働いているのが見て取れる。一方、演習だと教員はクラスの監視をしているだけにしか見えないかもしれない。発表の授業だったとしても発表を聞いて一言二言しゃべるだけにしか見えないことだろう。
 講義と演習のどちらが大変なのかと聞かれたら、答に迷うことはない。
 演習の方が5倍ぐらい大変だ。
 講義の場合、実はあんまり頭を使っていない。ぼくはスライドをスクリーンに投影してしゃべることがほとんどなのだが、スライドが映るまで今日の講義が何だったのかを思い出せていないことがほとんどだ。映して初めて思い出す。「そうか、今日は○○の授業だったのか」と。しゃべり出してからもあまり頭は使っていない。画面に書いてあることを読んで、少し内容を補足するだけだ。マイクのない教室だと声を張り上げないとダメなので腹筋が疲れるが、マイクのない教室は少ない。マイク片手にボソボソしゃべっていれば授業の体を成す。授業後にノドが少しイガイガするぐらいで楽なものだ。
 一方、演習は大変だ。ぼくの担当に実験はないので実験の大変さは知らないが、発表などへの講評の大変さは骨身に染みている。
 ハッキリ言ってしまうが、学生の発表の多くはつまらない。視野も狭いし、内容の新規性も乏しい。さらに発表の技術もまだまだ拙い。そんなものを90分(2コマ連続も多いので最大180分)聞き続けなくてはならない。ある意味苦行。学生じゃないけれど眠くなる。
 聞くだけならウトウトしていてもいいのだけれども(良くない)、聞いた後に講評しなくてはならない。良かった点や問題点を指摘するためには、発表がいくら退屈であろうとも一言も聞き逃せない。発表の間中、集中力を研ぎ澄まして一言一句に気を配る必要がある。そして、山ほど言いたいことがある中から重要な要素だけを抜き出して時間内にコメントをしないといけない。
 講評という作業は本当に神経がすり減る。ダメダメな発表に「バッカじゃねーの?」とか言えたら楽なんだろうなぁ。内心思うだけで我慢我慢。