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豆腐の将来は明るい

by 唐草 [2024/03/04]



 「豆腐に鎹」ってことわざがあるけれど、日曜大工をするわけでもないし、ましてやプロの大工でもないので鎹と言われても漠然としたイメージしか湧かない。「でかいホチキスの針的なものでしょ?」という感じ。
 似たことわざに「糠に釘」がある。これも糠床のイメージが希薄なのでピンとこない。祖母が健在だった頃に糠漬けを作っていたのを見たことがある。とは言え、ぼくは糠床に手を突っ込んだ経験はないので、糠床の柔らかさを知らない。だから、そこに釘を刺すと言われても具体的なイメージは湧かない。まだ、カスタードクリームに釘と言われたほうが実感を抱ける。
 さらに似たことわざに「暖簾に腕押し」がある。日本語はどうしてこうも無駄な努力的なことわざが豊富なのだろう?その疑問を語りだすと話がそれるので脇に置いておこう。鎹や糠床に比べれば暖簾に触れる機会はまだ多い。和風な飲食店の玄関にかかっているイメージがある。実際に触れたことがなくても、布なのでカーテンや干してあるタオルなんかを想像すればほぼ正解だ。
 暖簾が身近なので「暖簾に腕押し」は実体験あることわざとして今後も使われるだろう。一方、「糠に釘」や「豆腐に鎹」の未来は明るくない。
 言葉は移りゆくものだ。ここまでは絶滅危惧種的な言葉を例に話を進めてきた。残念ながら消えてしまった言葉も数多くある。その中には「糠に釘」のように時代の変化についてこれなかったものを使ったことわざや名言もあるだろう。
 そんな時代に置き去りにされ消えた言葉の中には、歴史教科書に載るような偉人の発言もあるかもしれない。ギリシア時代の哲学者なんて未だに名言の引用元として高い人気がある。普遍的な考えを述べた一方で、流行りものを用いて分かりやすく説明したこともあるだろう。だからある時期はもてはやされた名言だったかもしれないが、今に残っていないものもあるはず。
 そんな時代の変化のせいで消えた言葉に興味がある。これは古典を学ぶに十分な動機だ。
 そして、そんな消えた古い言葉を、芸人のスベったネタを見つめるような悲しさと優しさの入り混じった表情で読みたい。