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ミステリーの読み方

by 唐草 [2015/03/03]



 職場でいろいろと雑談をしていたら小説の話になった。ぼくは、ここで何度も書いているとおりミステリー好き。小説=ミステリーという偏った等式がぼくの中には形成されている。さまざまな小説があることは理解しているが、誰かが死んでその真相を追うような内容でないとページをめくる気力が起きないのだ。
 ぼくがミステリーを読むときは、常に誰が犯人なのかを考えながら読んでいる。物語の中にちりばめられたヒントから推理を組み立てることもあれば、誰が犯人だったら物語が一番盛り上がるのかという作者目線で犯人を予想することもある。ぼくは物語の中の探偵では取り得無い手法で推理していることもあるが、とにかく自分が探偵や刑事になったかのような気分で小説を読んでいく。そして、謎解きの瞬間に自分の推理があっていたかで一喜一憂する。
 こういうスタイルで小説を読んでいるので、アガサ・クリスティー作品のような作りの小説が一番好きだ。初めから多くの登場人物が出てきて、推理の瞬間に皆集まっている作りが好きということだ。犯人を含めて全員が1ヵ所に集まっている演出は現実味が無いとも言えるが、そこには目をつぶって欲しい。ぼくは、カードの多くが明かされた状態で推理編に突入する作りが好きなのである。
 話していた相手は、ミステリーも読むがぼくとは別の楽しみ方をしていた。
 推理をしながら読むことは無いそうだ。ぼくからすれば、推理をしないなんていったい何のためにミステリーを読んでいるのか理解出来ない読み方だ。でも、相手の話を聞いてなるほどと感心してしまった。
 彼は、物語の中の探偵の活躍に期待してページをめくっているそうだ。自分では思いつかないような真実を白日の下にさらす探偵の活躍が読めれば満足だそうだ。だから、最後の最後で今まで登場していなかった真犯人に迫るような作りのミステリーが好きだそうだ。
 そうか、そういう楽しみ方もあるのか。ぼくは、最後の最後で真犯人が登場する構成が好きでない。推理のしようも無いからだ。でも、世の中には最後に真犯人の元へたどり着くスタイルも少なくない。なんでこんなにも推理しがいのないスタイルが一般に受け入れられているのか不思議だった。
 「探偵の活躍を読みたい」という彼の一言で長年の疑問が氷解した。なるほど、そういう楽しみ方もあるのか。