by 唐草 [2014/04/17]
冬の間、密かな楽しみがあった。
1限の授業へ出るべく朝早くに電車に乗った時にしか見えないものがあった。富士山だ。
電車が橋の上を走っている間だけ朝日を浴びた富士の山が見えた。ちょうど開けた川の上なので、手前の山並みの奥に頭三つぐらい抜きんでた雄大な山の形が良く見えた。
一年間同じ場所を通っていたのだが、冬になるまで富士山が見えることに気が付いていなかった。
なぜ気が付かなかったのだろう?
冬になるまで心の余裕がなくて、遠景に見える山の姿に気が付かなかっただけか?
それとも、日の上る時間と角度の問題で冬にしか見えなかったのだろうか?
はたまた、季節性の別の原因があるのだろうか?
今朝は、富士山が見える側の窓の側に乗車できたので川の向こうの景色を凝視した。
だが、山は全く見えなかった。
今日は晴れと言うには難があるような天気だったせいもあるかもしれないが、手前に見える多摩の山並みの後ろにさらに山があるなんて想像もできないような風景しか見えなかった。明らかに霞のようなものがかかっていて、空を鈍い灰色に塗りつくしていた。
やはり、冬の乾いた空気でないと富士山は見えないのだろう。少なくともぼくが半年間にわたって巨大な富士山を見落としていたわけではないということが分かって安心した。
乾燥した晴れの日が来るまで富士山はお預けのようだ。