by 唐草 [2014/02/21]
先日、古典SFである『夏への扉』を読んだ。小説の中の時代設定は、完全に過去のものである。2014年の感覚で『1984』とかのいわゆる古典SFを読むと、「サイエンスフィクション」というよりも「ファンタジー」に近いものがある。つまり、書かれた当時は実現するかもしれない未来だった描写が、今となっては100%の空想でしかなかったという事だ。"SF"の"F"は、"Fantasy"の"F"。これからは、そう思うことにした。
21世紀。車が空を飛んだり、ロボットが街を歩き回る時代にはなってはいない。宇宙旅行も、まだ手軽なものでは無い。でも、通信やら計算の分野は、遙かに想像を超えている。情報のデジタル化ということが、人々の想像を超えた勢いで世界を変えている。先人たちの思い描いた未来像と現実の世界を照らし合わせると、そんなことに気がつかされる。
さて、想像とは異なる現実世界が生まれたが、だからといって過去のSF作品が損なわれるということはない。物語の本質は損なわれていないだろう。
もう少し、教養のために古典SFも読んでおかないと。またしても、そんな感覚に囚われた。
さて、何を読もうか。
家の本棚を探していたらレイ・ブラドッベリの小説が出てきた。有名なSF小説を何本も書いていたはずだ。読んだこと無いけれど。とりあえず、これを読んでみよう。
ぼくが手に取ったのは『タンポポのお酒(Dandelion Wine)』だった。
これはSFでは無いけれど、ぼくが読もうとしている時代に書かれた作品だしちょうどいい。
さて、作品を読んでいくとタイトルにもなっている「タンポポのお酒」を作るシーンが出てくる。
刈り取ったタンポポを絞り器で絞って水を加えて寝かすといった描写だ。
果たしてこの飲み物は美味しいのだろうか?作中では、輝かしい初夏の光と味を蓄えた飲み物として描かれている。
でも、どう考えてもタダの青臭い苦い汁にしか思えない。
ぼくの想像だとどうしてもキラキラとした初夏がビンの中に閉じ込められているという図が浮かばない。うーん、作品とぼくの中のイメージに大きな差があって読みにくい。