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800年後にも通じる

by 唐草 [2023/04/20]



 いまやマンガは、世代や文化を超えて多くの人が楽しめる表現手法だ。小説より気軽に読めるし、映像より好みの速さで見られる。コンテンツを享受するぼくらにとってこれほど都合のいいものはない。
 きっと未来でもマンガは娯楽のひとつとして読まれているだろう。今、マンガは紙から電子媒体への過渡期。紙の制約から解き放たれたとき、マンガは新たな進化を遂げるのかもしれない。100年後はどんなマンガが読まれているのだろう?
 コマの中の絵を動かしたり、セリフを読み上げるなんていうことは今でもできる。技術的な進化を遂げるのであれば映像に近くなるかもしれないが、これはマンガ読者が求めていることではない。マンガは先人たちの多様な創意工夫の上に成り立っている。外様が技術的側面から強制進化させても、マンガではない別物になってしまうかもしれない。
 映像が発展しても小説が残ったように、メディアや技術が進歩してもマンガの基本は変わらないだろう。それはマンガの原点を考えてみれば分かる。
 何をもってマンガの原点とするかは議論が絶えない。手塚治虫の功績が大きいことに異論はないが、彼がゼロから発明したものでもない。動きのある絵を連続して並べて物語を描く手法は古くからある。
 ぼくは『鳥獣戯画』こそマンガの原点だと考えている。セリフこそないけれどあれは間違いなくマンガだ。これは実物を目の当たりにした感想だ。
 『鳥獣戯画』の第一巻に相当する甲巻が描かれたのは12世紀頃と言われている。平安時代だ。
 鳥獣戯画(の甲巻)は令和の今でも通じると確信している。つまり、平安貴族がウケたものと同じものを見て現代人も笑っているのである。800年生き残った究極のマンガなのだ。
 鳥獣戯画より面白い現代のマンガはたくさんある。だが、それらが800年後にも通じるだろうか?古典文学を読んでも価値観が共有できずに退屈に思うことが多い。それと同じで今の人気マンガでも、800年後には退屈なものになっているかもしれない。
 だが、ひとつ言えることがある。
 800年後の未来でも鳥獣戯画はウケるだろう。
 原点にして頂点だな。