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読み方を忘れる

by 唐草 [2023/04/30]



 世間一般の感覚では何ページ以上の本を厚いというのだろう。新書にありがちな200ページぐらいでは厚いと言えない。個人的には300ページを超えると厚いと感じる。
 読書家には「300ページで厚いなんて」と驚きと蔑みの混じった反応をされてしまうかもしれない。世の中には辞書にしかみえない小説もある。どんな本を好むかで厚いの基準が変わるだろう。
 とは言え、600ページを超える本、それもハードカバーであれば、辞書の編纂者であっても厚いと呼ぶことに賛成してくれるだろう。
 この数日、自信を持って厚いと呼べる小説を読んでいた。小説を読むのは久しぶりだ。推理小説を読み漁りメタ的な推理をするようになってしまったのが原因で小説から離れていた。どんな小説を読んでも、それが推理小説でなくても、国語の試験問題を解くように分析してしまう癖が付いてしまった。「ここは伏線の準備だろう」とか「ここは、後で主人公の成長を印象付けるために失敗させるだろう」とかそんなことばかり考えてしまう。
 国語で優秀な成績を納められるかもしれないが、小説を楽しんでいるとは言えない。そう思ってから小説から遠ざかり、雑誌や実用書しか読まなくなっていた。
 そんな経緯もあり小説を手にしたのは数年ぶり。600ページ超なんて厚い本を手にするのは、さらに久しい。分厚い本をどう持てばよいのか戸惑うほどだった。
 不慣れな姿勢で重い本の活字を追っていたら驚くほど目が疲れた。普段ディスプレイに映る横書きの文字しか追っていないので、目を縦方向に動かせなくなっているのかもしれない。痛みは目の奥を超えてひどい頭痛となった。これは久々に運動したときの筋肉痛に似た体の悲鳴なのかもしれない。
 痛みを和らげようとぼくは、肩こり用の重い温熱マフラーを熱が失われるまでの15分ぐらい目の上に置いた。
 痛みは引かなかった。
 それどころか重いものを目の上に載せていたので、焦点を合わせられなくなっていた。なにもかもがボケる。本なんて読めないし、手の届く所にいる猫の表情さえわからなかった。そんな視力0.1の世界に30分ぐらい囚われることとなった。