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草をかき分け進む

by 唐草 [2022/10/11]



 毎週繰り返される規則正しいスケジュールの都合で、火曜日は時間に余裕ができることが多い。翌日の水曜と木曜は必ずと言っていいほど忙しくなるので嵐の前の静けさといった趣もある。
 そんな平穏な火曜日は散歩の日になっている。朝の早い水曜日に備えて早寝するために始めた散歩だったが、今では散歩することそれ自体が目的となっている。翌日に早起きをする必要のない火曜日だって体を動かさないと落ち着かない。
 散歩で向かう先は、いつもの公園。何度訪れても平日の公園はいいところだ。休日のように「休日を休日らしく満喫しなくては!」と駆り立てられているような賑わいはない。のんびりとした時間を過ごしたい人が公園に集っているのだろう。子供と遊ぶ人、ジョギングをする人、楽器の練習をする人、昼寝をする人。それぞれが自分のペースで自由に時間を過ごしており公園は穏やかな空気に包まれている。
 ぼくにも自分だけの公園の楽しみ方がある。池に捨てられたミドリガメを眺めたり、越冬する鴨の飛来を待っているのも楽しい。それとは別に公園で必ずしていることがある。
 それが、草をかき分け進むこと。
 公園内には車も通れるぐらい広い道が整備されている。アスファルトを踏みしめれば公園のどこにでもいける。多くの人は道のとおりに歩を進めて、くつろぐときだけ芝生の上や木の根元に腰を下ろしている。
 ぼくはちがう。公園に入ったら舗装路を無視してまっすぐ草の茂った場所に向かう。そして、踏み跡のない場所を雑草をかき分けながら大股で進んでいく。このように土を踏みしめて小さな自然を感じることこそぼくが公園に向かう理由。
 整備された舗道を歩いて管理された並木や花壇を眺めるのも公園の楽しみ方であることに異論はない。でも、せっかく緑豊かな公園なんだから、もっと全身で公園ならではの空気を感じたい。
 だからぼくは野放図に伸びる雑草に脚を取られながらもそれを手でかき分け、何層にも落ち葉の積もった土の地面の柔らかさを脚で感じながら今日も道なき道を進む。その道には、都市での暮らしに欠けた何かがあるような気がする。