カレンダー

2014/03
      
     

広告

Twitter

記事検索

ランダムボタン

目の前にある情報

by 唐草 [2014/03/08]



 紆余曲折があったのか、伝達ミスだったのかよく分からないが、2chのまとめサイト全面禁止という話が覆ったようで安心した。
 ログをそのまま転載するのは禁止だが、編集作業が加えられた「まとめ」は許容範囲のようだ。
 ぼくがよくアクセスしていたまとめサイトも軒並み息を吹き返したようで一安心。これで、暇つぶしに困ることは無くなった。
 先日も書いたけれど、まとめサイトは2chのタグ付をしている重要な存在だと思う。有象無象の情報が溢れる環境においてタグ付は、有効な情報選別手段になる。
 しかし、改めて考えて見るとネットを通じて様々な情報にアクセスできるようになったと言えども、ぼくの目の前にある情報はフィルタリングされカスタマイズされた情報ばかり。
 暇つぶし程度の観点であれば問題無いのかもしれないが、あまりにも見えている範囲が少ない。
 twitterは、最たるものだ。
 twitterは、聞きたい言葉だけを耳にできる実に心地のよいメディア。しかも、聞きたい言葉を自分で選べる。twitterを利用していると世界がまるで自分と同じ考えで動いているかのような錯覚にすら囚われる。
 ネットは真実を伝えてくれるわけではない。あくまでゴミの山の中から、自分が欲している情報をすくい上げてくれるだけだ。
 「宇宙人は地球に来ている」と検索すれば、存在を支持する人々が発する情報が出てきて、米軍の秘密兵器の話からご近所に暮らす異星人の話まで様々なことを知ることができる。この結果を読む限り、地球には宇宙人が結構いそうだ。一方「宇宙人は地球に来ていない」と検索すれば、遠い星に知的生命体が存在する可能性を議論する話ぐらいしか出てこないだろう。とても地球外生命体が、来ているとは思えない。
 これは分かり易い極端な例だ。
 でも、他の多くの情報も似たようなもの。賛成する声も反対する声もどちらも山のようにある。
 ただ、これだけ個人に照準を合わせ高度にカスタマイズされた情報を目の前に提示されると、あたかもそれがすべてのように思えてしまう。また、対立意見を検索してみても、データソースにフィルタリングがかかっていて表示されていない可能性もある。
 もう人力ではどうにも処理でない膨大な情報を前に、ぼくらは情報の選別を第三者に委ねる判断をしてしまった。
 いったいぼくらが見ている情報ってなんなんだろう?なんの影かも分からない情報に踊らされているだけにしか思えないこともある。しゃかりきになって情報の海を泳ぐのなんて目を閉じているのと大差ないのかもしれない。