カレンダー

2014/06
     
       

広告

Twitter

記事検索

ランダムボタン

またも見つけた、頭のいい人論争

by 唐草 [2014/06/29]



 前にも取り上げたことがあるが、またもや某まとめサイトに頭のいい人議論が掲載されていた。
 今回の話題もいつもの通り「頭のいい人は、バカにも説明ができる」というものだった。これこそ、馬鹿の一つ覚えと言った感じだ。
 一理ある理屈にも聞こえなくはないが、かなり制限付きな条件にも思える。とてもこの条件が、頭がいい人の必要十分条件とは思えない。
 むしろ、バカが考える頭のいい人のイメージとしか思えない。
 知識レベルの前提条件が異なれば会話は成立しないし、応用的な内容を説明するためには基礎となる膨大な知識を説明しなくてはならない。バカの側がその説明をすべて吸収できるかどうかという問題もある。
 また、相手に求める理解をどのレベルに設定するかということも重要だ。
 たとえば、説明を受けて分かったつもりになるだけだったら話術のうまさでカバーできる。また、受話者側もわかったフリをするのであれば、オウム返しのように聞いた説明を繰り返せばよい。
 かみ合わない頭のいい人に対する議論を見ながら思ったことがある。
 IQが5異なると会話が成り立たなくなるというような説を見たことがある。実際、IQ5の差でどの程度の違いがあるのか分からないが、頭の回転速度やら持っている前提となる知識の量が異なれば、会話がスムーズに進むとは思えない。
 世の中には、IQ180ぐらいの人がいるらしい。会ったこともないし、話したこともないので実際どういう人なのかは、想像もできない。
 そんな賢い人々からしたら、ぼくら普通の人はどう見えているのだろうか?IQの分布や数値がどういう尺度なのかよくわかっていないが、天才からすればぼくらなんて烏合の衆にしか見えないだろう。IQ100程度であろうぼくがIQ70の人を見るような感覚なのだろうか?それとも人語を解さぬ猿と暮らすようなものなのだろうか?
 例によって例のごとく、ぼくが読んだ議論もどきの頭が良い人論争では、自分が頭のいい側に入るべく虚しく醜い議論が交わされていた。少しは天才らが平凡な自分らをどう見ているのであろうかを想像しながら議論を進めてもらいたいものだ。