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芋豊作

by 唐草 [2016/03/05]



 家に大量のジャガイモがあったので、フライドポテトを作って美味しく食べた。ただ、まったく減った気配はない。このペースでは、2週間ぐらい毎晩フライドポテトを食べるハメになりそうだ。いくら揚げたてのフライドポテトが美味しいからと言って2週間も食べ続けたくはない。肉じゃが、カレー、ポテトサラダやジャーマンポテトとかいろいろな食べ方を試す必要がありそうだ。
 なぜ我が家に大量のジャガイモがあるのかというと、農家を応援した結果らしい。
 今年は野菜が豊作。ただ出来過ぎていて消費が追いついていないらしい。その結果、余剰作物が大量にできて農家が出荷しても儲からない状況にあるとか。そこで農家応援と称した大袋での販売が行われていた。我が家も微力ながら見知らぬどこかの農家を応援した結果、大量のジャガイモがやってくることになった。
 豊作。ぼくの中では、この言葉は良い意味の単語として記憶されている。ちょっと古い時代設定の物語を思い起こしてみれば、農村の運命は作物の出来と共に描かれるのが常套手段だ。豊作なら豊かで幸せ、不作なら飢饉で貧乏で不幸だ。
 でも、現代ではこの単純な構図は成り立たないようだ。不作=貧乏の図式は変わらないが、今年の状況から察するに豊作=富裕の図式は崩れている。
 需要と共有だとかの経済バランスの話を借りてくれば、豊作≠富裕の話も何となく分かる。でも、作物が健康に、そしてたわわに実った畑を見て、それが豊かさではないというのにはなんだか違和感がある。
 ぼくが小さかった頃、出来過ぎたキャベツをトラクターで潰すニュースを見て、強い違和感を感じた。それと似たような違和感をこの芋からも感じている。